日刊 福田智洋

上場企業の企画部長が、日刊といいつつ、不定期につれづれなる内容を書くブログ。

上場企業の企画部長が語る『企画論』。(全5回の1回目)

 
場企業の企画部長が語る『企画論。(全5回の1回目)』
チラシの裏的な内容なれど、良い機会なので、整理します。
 
 
ろいろな定義があると思いますが、私が考える「企画の定義」は、以下のものです。
 
企画というものは、課題を解決する方法論。
 
人によって是非はあると思いますが、明示的・黙示的な課題を解決する方法論を企画と考えています。
 
 
なると、企画を考えるには、まずは課題を明確にする必要があります。当たり前の話ですが、病気が不明確なのに、特効薬が存在しないのと同様に、不明確な課題に対する素晴らしい企画というのもは存在しません。
病気とクスリのメタファーと同様に、企画を立てるためには「課題の明確化」が必要になってきます。
 
 
題の重要性がわかってきたところで、問題です。
下の方の「課題」はなんでしょうか。
うん。ちょっと考えてみてください。
 
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ろいろな課題の案があると思います。実際のところ、全てが正解でもあり、また全てが不正解でもあります。
では、何が正解と不正解をわけるのか。それは『 目標(目指すべき理想) 』によって、その正解・不正解が規定されることになります。
 
 
えば、目標を『東大に合格』にするならば、課題は
 
  • 勉強時間が足りない。
  • 物理の知識がない。
  • 一芸入試がない。
 
といったものが課題になるかもしれません。
 
 
えば、目標を『筋肉ムキムキになる』ならば、課題は
 
  • 筋肉がつきにくい体質。
  • 食生活。
  • 2次元なので、陰影が見づらい。
 
といったものになるかもしれません。
 
 
の例からもわかるように、課題というのは目標によって全く異なるものとなります。
 
うならば課題はというのもは、現実と目標との格差の原因に他ならず、目標が不明確であれば、その格差も現すことができません。
 
また同様に、到達点の目標と同様に、起点である『 現状 』もまた正確に把握する必要があります。だって、偏差値80を目標とした場合、現状偏差値75の人の課題と、偏差値40の人の課題は全く異なりますからね。うん。
 
 
 
めて整理するならば、企画にとってもっとも重要なことは課題を定義することであり、課題を定義するためには、「現状」と「目標(理想)」を明確にしないいけません。 
 
といいつつも、企画の話をするときに、『 常に解決策だけを提示すること 』は非常によくある話であり、それは病気が特定していないのに、特効薬があると主張しているくらい、突飛な話だったりします。
 
 
 
目標ー現状 ≒ 課題
課題を解決するのが、企画
 
だから私の部下の皆さんは、目標や現状や課題を明確にせずに企画をもってこないように。
本的なことですが、すごく重要なことなので、しっかりメモ!!
 
 
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OSはまだプラットフォームなのか。

 

要を伝えると「すでにOSはプラットフォームではなく、嗜好で選択可能なプロダクトになっている」という話です。

 

えば、特定メーカーの車しか走れない道路と、いろいろな車が走れる道路があったとします。このような二つの道路がシェア争いをした場合、当たり前ですが、後者のほうがシェアが高くなります。

どんなにその道路が走りやすかろうが、他の車は走れないのですから、当然人気が無くなっていきます。当たり前の話です。

これはプラットフォームやプロコトルの争いです。

 

に、どんな車も通行できる道路があったとします。(今の状況がそうですね。)その際に、その道路を走る車は、仕様が公開されている車(大衆車でも構いません)と、デザイナーがこだわったイタリア車、その両方があったとして、どちらか一方が淘汰されるでしょうか。

きっと価格が安くなった大衆車がたくさん売れるのですが、だからといってイタリア車が困るということはありません。道路を普通に走れますしね。羨望の眼差しを貰えるかもしれません。

 これは、プラットフォームやプロコトル上のプロダクトの話です。

 

『アンドロイドがオープンだから勝ち、iOSはクローズドだからきっと負ける』という文脈をみると、違和感を感じます。

もちろんそれは、過去の「Windows VS Macintosh」の結果をみての発言なのですが、Windowsの勝利の本質は、「オープン」だから勝ったわけではありません。シェアを重視し、ビジネスの共通プロトコルたり得たので、勝ったのです。

 

 

 

 

方、現在のスマートフォンに目を向けてみます。アンドロイドもiOSもメインで利用されるのは、メールやWEB、あとはゲーム等ですが、これらは基本的にインターネットベースのサービスです。だから、基本的にOSからでも同じようなサービスが基本利用できるんです。

ってしまえば、インターネットの出現により、OSは既に「プラットフォーム」レイヤーから趣味嗜好で選択が可能な「プロダクト」のレイヤーになっています。

述の、大衆車とイタリア車の比較じゃないですが、両方が普通に道路を走れる以上、どちらのOSを選ぶのかは嗜好以外の何者でもありません。iOSだろうが、アンドロイドだろうが、シェアの如何はわかりませんが、ユーザーの好みでいろいろ使われていくはずです。同一プラットフォーム上にのっているプロダクトであれば、iOSだろうがアンドロイドだろうが、どちらかが一方的に淘汰されるということは無いんです。

 

の意味で、iOSはアンドロイドに駆逐されるといった文脈は、OSが既にプラットフォームの役割から、単なるプロダクトのレイヤーになったことを理解していない発言に他ならないかなと思います。

 


改めて、もうOSはプラットフォームではなく、単なるプロダクトに過ぎなくなっているということでした!

 

MacOSの復活も、「Windowsからインターネット」へプラットフォームの変換が行なわれたために他なりません。インターネットの普及により、Windowsじゃないとできないことが少なくなった、WindowsとMacの違いも少なくなったんです。

本質的には「OS Xがスゴイ」とかそういう話ではなく、OSが単なる嗜好で選択できるプロダクトになったから、改めて価値が発揮できるようになったということなんだと思うのでした。